太刀宮

古来より太刀に願いを込め、又お礼参りに太刀を奉納します。

境内の東側に鎮座している末社で、宮原神社の通称;太刀ノ宮はここかの所以です。氏子・崇敬者からの信仰が厚く、開運成就、厄除け、必勝祈願など、特に【癌封じ】【ぜんそく】などの病気平癒のご利益あるとご参拝が絶えません。

◆ご祭神 猿田彦尊(さるたひこのみこと)
ご利益 合格祈願、病気平癒(ぜんそく、頭痛、癌などの病気)、
厄祓い、必勝祈願など

【宮崎定直と折継丸】

その昔、この地方に宮崎城主(現有田市野)の三男、宮崎定直という剣術の達人がいました。定直の剣術は広く知れ渡り、真田幸村に招かれ大阪冬の陣(1614年)に参戦しました。大阪城へ入城し、豊臣秀頼公の旗下に属し活躍するが、淀君の思し召しつかず、戦況がよくなかった為、早春に出城しました。命かながら逃げ、故郷の姉をたよりこの里(宮原)に向かいました。難を逃れ蕪坂峠を越しようやく故郷に入ると、安心したのか、当神社の神前で休み眠ってしまい夢を見ました。

「大勢にて取り巻きく故、防がんと思うが身体自由にならず、誠に九死に一生の思いなるところ、帯せし太刀自然と抜け出て多人数を追い回す。夢はさめ辺りを見るに死人数多く、太刀は中程より二つに折れてあり、夢なれど人の切られたのは真故、不思議に思い折れたる太刀を繋いでみるとこれまた不思議、元の如く継げたり。先剣の御徳を尊み、また御社の神徳を尊み『折継丸』と名付けて、その社に納め候なり」

という記述から、人々はこの社を『太刀宮』と申すようになりました。

当時、ありの熊野詣といわれるほど、多くの参拝者が熊野へと向かった。藤代(海南市)より有田に抜ける道、熊野街道がある。特にこのけわしい峠を蕪坂(かぶらざか)といい、当神社は熊野詣の方々の無事を祈って、熊野街道沿い(畑村)に祀られていましたが、明治時代に宮原神社に合祀されました。

御社の神徳を尊み、太刀をもって災難や厄を払うことから、厄除けや病を治す神様として多くの人々の信仰が厚い。また人の道を導く尊い神様であることから、合格祈願スポーツ等の必勝祈願が多く、ご利益があるといわれ遠方より多くの参拝者があります。
特に
ぜん息、癌の平癒の祈願が多く行われ、お礼参りに太刀を奉納する風習があります。

例祭日 4月第3日曜日 
 和歌山県で唯一の青少年による剣道の野試合が奉納されます。



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